夏が来れば思い出す。一度は必ず行ってほしい場所「知覧特攻平和会館」のことを。
こんにちは!「モテたい」高知のガス屋さん 社長の山田洋介です。
突然ですが、私が、高知に帰ってくる前は「鹿児島」にいました。
活火山で有名な「桜島」をいつも眺めながら仕事してました。
鹿児島は、真夏に雪が降る? いや、桜島の噴火により「火山灰」が凄かったという鮮烈な記憶があります。
車に灰が積もり、本当に真夏に雪が降っているようでした(笑)
今年は、比較的おとなしいようです(^-^;
この時期になると思い出します。「戦後○○年」とニュースや新聞で見かけると、
以前行ったことのある、一度は必ず訪れてほしいと思う場所のことを!
鹿児島県南九州市知覧(ちらん)町にある
「知覧特攻平和会館」
この特攻平和会館には、太平洋戦争末期、特攻隊として飛行機に爆弾を積んで、命をかけて敵艦に体当たりした特攻隊員の遺品や遺書、当時の記録などが保存、展示しています。
太平洋戦争末期、日本は戦力を著しく失い、正攻法の攻撃で、相手に打撃を与えることが不可能な状態でした。そのため、航空部隊の戦法は体当たり特攻が主体となり、隊員も練習部隊にまで拡大。そのため、多くの若者たちが、自分の愛するものを護るため体当たり攻撃「特攻」を行ったのです。それも20歳前後の若者が、自らの意思で志願したのです。
会館には、ある時間になると年配の職員が現れて、当時のことを語ってくれます。
30分ほどの話なのですが、凄く印象に残ったのは、特攻隊員最年少17歳(写真中央)の少年の話でした。
知ってる方もいるかと思いますが、写真は子犬と戯れる少年飛行兵。その光景を新聞カメラマンが取った一枚です。
「なぜ君達は、死ぬと分かっているのにそんな笑顔でいられるのか?」
との問いに、
「僕たちは、別名ほがらか隊ですから」
と笑顔で答えたそうです。
底なしに明るく、
どこにでもいる様な若者たちが、
自分の意思で、
純粋に愛するものを護るため、
命をかけて飛び立つ。
胸が苦しくなりました。
話を聞いているだけで涙ぐんできます。
話の最後には、
「今は、平和であることが当たり前です。戦争は二度とあってはならない。しかし「特攻」で多くの若者が、自分の命に代えてでも護ろうとしたのは、この国の平和な未来なのです。残された私たちがその想いを永遠に受け継ぎ、後世に伝えていかなければならないと思っています」
とても印象深く、心に刻まれた言葉でした。
今は、「特攻」に関する書籍や映画があり、「特攻」を知るきっかけが沢山あると思います。
それでも「鹿児島」に来て「知覧」に来て、ぜひ本物を見て欲しい。感じて欲しい。心に刻んで欲しい。
そこには、言葉では言い表せない「想い」が詰まっています。
その「想い」は、実際に「知覧特攻平和会館」を訪れた人しかわからないと思います。
家族で「知覧」に行ったのは、もう数年前になります。(最近鹿児島に帰れていません(T_T))
子供たちは当時小学生でしたが、本物を見て、想像して、その時に感じることがすごく大切だったと思っています。
そして、あの時から少し大人になった子供たちと一緒に、もう一度「知覧特攻平和会館」に訪れてみようと思います。
鹿児島県南九州市知覧町郡17881番地
(TEL)0993-83-2525
(開館時間)午前9時~午後5時まで 年中無休