• TOP
  • 社長ブログ
  • 【土佐偉人銅像巡り】7人目。吉村虎太郎に会ってきました。
2017年06月20日 社長ブログ

【土佐偉人銅像巡り】7人目。吉村虎太郎に会ってきました。


こんにちは。「モテたい」高知のガス屋さん 社長の山田洋介です。

 

先日、土佐偉人銅像巡り。6人目は・・・この方々!という記事を書きました。

 

梼原町にある「維新の門」そこから少し足を延ばすと津野町があります。(少しとは言っても山の中を車で20~30分行ったところですが・・・)

そこにも土佐偉人銅像があります!吉村虎太郎の銅像が!一気に2か所制覇。7人目です(笑)

 

 

階段をのぼって少し高台に、その銅像は見えてきます(^^)/

 

 

住所/津野町力石(目印は津野町役場西庁舎)
問合せ先/津野町教育委員会
TEL/0889-62-2258
車/津野町役場西庁舎から徒歩1分

 吉村虎太郎は1837年、芳生野村(現津野町芳生野)の庄屋の家に生れました。わずか12歳で父の庄屋職を継いでいます。この頃から武市半平太や間﨑滄浪に師事し、後に土佐勤王党へ加盟します。
 25歳の時、一藩勤王にこだわる武市半平太と袂を分かち、長州へと脱藩します。このことは土佐の志士達に衝撃を与え、坂本龍馬などがそのあとを追って脱藩してゆくこととなるのです。
 1863年、京都にて天誅組を結成すると、幕府直轄の大和五條や高取城を攻撃、倒幕ののろしを上げます。しかし、「八月十八日の政変」もあって孤立した天誅組は戦いの中で消耗して行き、東吉野にてついに壊滅するのです。虎太郎も東吉野まで天誅組をよく指揮しましたが、この地であえなく戦死してしまいます。享年27歳でした。

吉村虎太郎の脱藩は坂本龍馬より早く、土佐藩脱藩第一号だったんですね(驚)

 

津野町にある生家にも足を運びました。当時の建物を再現していて、とても立派な建物です(@_@)

 

 

 

 

 

「吉野山 
 風に乱るる もみじ葉は 
 我が打つ太刀の 血煙と見よ」

 

 

 

今回の土佐偉人銅像巡りin梼原からの津野町(^^)/このような機会がなければ、なかなか来ることはなかったのかもしれません。脱藩の地から天誅組総裁まで、幕末の志士たちの想いに少し触れることが出来たことは良かったと思います。

 

そんな中、幕末を絶賛勉強中の私ですが(笑)もう少し語れるようになりたいと思い、ただいま「おーい!竜馬」3巻を熟読中!

 

 

 

次の銅像に出会うまでには、「おーい!竜馬」全巻読破しておきます(≧◇≦)

 

住所/津野町芳生野甲1456-1
問合せ先/吉村虎太郎邸
TEL/0889-62-2601
料金/無料
営業時間/9:00〜16:00
定休日/年末年始(12月29日~1月3日)
車/津野町役場西庁舎から約10分