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2017年06月19日 社長ブログ

【土佐偉人銅像巡り】6カ所目。八志士の群像「維新の門」に行ってきました。


こんにちは。「モテたい」高知のガス屋さん 社長の山田洋介です。

 

久し振りの「土佐偉人銅像巡り」です(^^)/決して忘れていたわけではありません!まず市内から離れたところに行こうとしてて行けなかっただけです・・・

 

では、土佐偉人銅像巡り6カ所目は・・・こちら!

 

幕末の英雄・坂本龍馬や勤王の志士たちの足跡が残る高知県梼原町。 この地には幕末の志士の功績を讃え勇姿を永遠に伝えてゆく八志士の群像「維新の門」があります。

 

 

坂本龍馬、那須俊平、掛橋和泉、澤村惣之丞、吉村虎太郎、中平龍之介、前田繁馬、那須信吾の八志士の銅像。坂本龍馬脱藩の地として有名な梼原(ゆすはら)町。今にも動き出しそうな銅像を見て、躍動感に満ち溢れ、歴史を感じずにはいられません(^^)/

 

 

写真は、脱藩の道を行く坂本龍馬と澤村惣之丞(中央)、先導するのは那須信吾の父那須俊平(右)、写真左側で手を組み祈っているのはこの地で神官の家に生まれた掛橋和泉。

 

 

後ろで手を上げてるのが天誅組の吉村虎太郎。先頭が那須信吾、奥が前田繁馬(見えずらくてすいません)、右手前が中平龍之助です。
 

「維新の門」

幕末の英雄、坂本龍馬は、文久2年(1862年)3月24日に高知を出奔し、翌25日に梼原に到着。その夜、梼原の勤王の志士である那須俊平信吾父子の家に宿泊、26日に俊平、信吾の道案内により、盟友澤村惣之丞と共に偉業を夢見て脱藩。梼原町からも吉村虎太郎中平龍之助、前田繋馬が国境を越え、維新動乱の渦中に身を投じた。また掛橋和泉は自らの家財を費やしてこれらの志士を援助。

龍馬脱藩から6年後、明治維新が起こり、近代国家が誕生したが、その時すでにこの八人の志士達は、志半ばにして不遇な最後を遂げていた。志士たちの足跡が残るこの梼原町に、八志士の群像を建て「維新の門」と名付け、彼らの功績と勇姿を永遠に伝承。

(高知県中西部地域ポータルサイト満天土佐より抜粋)

 

 

実は、7年前に「龍馬伝」が放送されてた頃、一度ここを訪れています。その時も銅像の躍動感に圧倒された記憶があります!

 

 

久し振りの銅像巡りでしたが、やはり

もっと高知の歴史を勉強しないと、背景などを知らなすぎる自分がいます・・・( ̄д ̄)

知らずに来るともったいないと再確認しました。こんなに偉人を輩出している高知に生まれながら、知らないじゃ通らない(笑)

 

「龍馬伝」が放送されてた頃は、もうちょっとお勉強してたと思います。早速、自宅の本棚に眠ってる「おーい!竜馬」(マンガ)を引っ張り出してきて熟読します(笑)

 

 

 

「維新の門」

住所:高知県高岡郡梼原町川西路2352-1

アクセス:高知空港より車約120分。須崎駅より車約50分。梼原バス停より(高知高陵バス梼原線)徒歩10分。須崎ICより車約50分